こんにちは、
融資コンサルタントの小堀大藏です。
あなたの事業が成功するよう祈って、このブログを書いています。
一昨日から全ての移動制限がなくなり、表面上は「新しい日常」のスタートしました。相変わらず、明確な基準がないままのリスタートですので、まだまだ不安が残っています。諸外国の様子を見ると、感染者数889万人、死者数46万6千人。(2020年6月22日9時現在)
今日のテーマは、「地域金融機関の“持続可能なビジネスモデル”構築 そのシナリオの全体像」です。
先週は、金融行政のバブル崩壊以降の状況について「歴史を振り返って」いただきました。今週は、その最大の基準であった「金融検査マニュアル」の廃止をするために、地域金融機関に対して、“持続可能なビジネスモデル”を構築するための金融庁の対応です。
少しマニアックで、「だからどうなんだ」と言われそうですが、このプロセスに金融庁が考える「地域金融機関のあり方」の模索があるのです。ここを知ることで、お付き合いの金融機関も普通の会社で、「経営改善」を求められ、今まさに変わろうとしていることを理解してほしいのです。
2019年12月18日に金融検査マニュアルは廃止されました。バブル崩壊から27年。金融庁は、新たな地域金融制度を模索してきました。
ご存知の通り、バブル崩壊では、深刻な金融システムの崩壊があり、181の銀行等、7社の生命保険会社、四大証券の一社である山一證券が破綻し、多くの公的資金を投入したものの、経済成長は大きく下がり、その後、長く低迷し、「就職氷河期」などをもたらしました。
その後、2008年のリーマン・ショックでは、マイナス成長に陥り、その危機から中小企業を救うために、中小企業金融円滑化法が施行され、大きなマイナスを背負ったまま、地域金融機関は、新たな対応をせず、「金融検査マニュアル」に沿った融資姿勢で、生き残りをしてきました。
2011年3月には、東北大震災があり、死者行方不明者は、18,428名(2020年3月7日現在 警視庁)でした。この年に金融庁は、監督指針を改定して、地域金融機関に対して、地域密着型金融をビジネスモデルとして確立することを求めました。
そして、金融円滑化法の終了を受けて、2013年9月には、事業性評価による融資をしているかをモニタリングに加え、2015年には、金融行政方針の中で、担保・保証依存から事業性評価に基づく融資へ転換するよう求めたのです。
2016年の金融仲介ベンチマークの発表と同時に、「日本型金融排除」についても言及し、大きく舵を切ったことは、先週5本のブログで説明しました。平成28年、29年、30年の金融行政方針等については、個別に説明いたしました。
2019年に入って、3月に「健全性政策基本方針」が出され、6月には「早期警戒制度の見直し」が改正されました。その上で8月に「令和元事務年度金融行政方針等」が発表され、暮れの12月には、「金融マニュアル廃止後の融資に関する検査・監督の考え方と進め方」が発表され、動き出しました。
しかし、このタイミングで「コロナ騒動」です。昨年度、やっと、ここまで緻密に積み上げて来たにも関わらず、残念です。2020年3月には財務大臣談話が出て、また、金融円滑化法の枠組みの復活です。いろいろな意味で、これまでの対策は、「元の木阿弥」になりそうです。
それぞれの方針や改正を確認しながら、金融マニュアル廃止にいたるまでの様子を、今週は説明していきます。(少し前置きが長すぎました。お許しください)